鈴木治の陶芸展「詩情のオブジェ」(東京国立近代美術館 1999.3.19-5.9)
(文・柏木麻里)

『陶説』554号(抜粋)1999年5月


初期の磁州窯ふうの器物から最新作のオブジェまでを含めた回顧展。オブジェの代表作を年代順にあらためて概観すると、60年代後半「泥象」にみられるような量感を特色とした時代から、70年代に徐々に作風を変えて、近年また新たな結実をみせるまでの軌跡を辿ることができる。

「四角なとり」「はばたく鳥」など70年代初期には、立方体からとびだした薄い細部や鋭い稜線によって、それまでの量感から一歩はなれた軽やかな動きを漂わせるようになる。80年代を通して雲や風また馬といったモチーフのもつ動きが探求されるが、90年代に入ると、細部の動きよりも作品全体の形・表面の表情が豊かに語りはじめる。

「冬原の章 日輪」と題された青白磁のオブジェは、楕円形の中央に小さな突起があり、曲線や凹凸にしたがって、つややかな釉面には光線の具合でさまざまな光と影が宿る。高さ30センチあまりの作品は、「日輪」という具象的なタイトルに引き出された、広大な空、光の輪のイメージに覆われる。一瞬、あるかなきか、見えるか見えないかという繊細さで姿をあらわすもの、それが90年代の鈴木治さんのオブジェの新たな特質といえるかもしれない。ややもすると、あまりに寡黙な無表情に陥るおそれもあるが、昨年発表された「木」をめぐる連作(本展覧会には「伸びる木」「傾斜する木」の二点が出品されている)などでは、寡黙さが大きな世界を暗示するプラスの力としてはたらいていた。90年代のオブジェの特質は、ひとことでいえばこの暗示する力であるように思われる。

鈴木治さんは「読む焼きもの」という言葉を使っている。わたしたちは木・太陽といった具象的なタイトルの言葉を「読む」だけではない。じつは、紐づくりで積み上げた微妙な傾きをもつ形や、赤土の表面に意図的にのこされた指跡、また淡く光を映す青白磁釉といった、やきもの固有の要素こそが、木に秘められたかすかな動きや、空に満ちる光を暗示し、作品を通して大きな生命の世界を読み取らせているのだ。




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