『ウルトラ』6号収録
2001年8月



音楽     柏木麻里




第一詩集に『音楽、日の』という書名をつけた。音楽というと、言葉のリズムのことだと思われやすいが、そういう意図はあまりない。私が考えていた音楽は、言葉ではないのに何かを言おうとしているもの、という意味だ。リズム、メロデイー、ハーモニー、フレーズの取り方、音の強弱は確かに物理的な存在なのに、それ以外の何かがうまれている。感情であり、さまざまな、言葉としか言いようのないもの。たちのぼり、揺さぶられ、のびあがり、あらゆる感情をばらまいて、あらゆる言葉を告げて消えてゆくものたち。

それは人の振り向きざまの表情が発散するものにも、とてもよく似ている。まぶしくて、あたたかくて、あるいは胸を突くほど疲れている。あらゆる言葉を振りまきながら生きている私たち。その言葉ならざる言葉と、言語である言葉の関係は、今はまだ私にはよくわからない。

バレンボイムという音楽家を私は殊更に好きではないけれど、彼はこう言っている。「音は一音一音死にむかってゆくもので、一つとして同じ音はない」。一つとして同じ音はなく、一つとして同じ息もない。そして死にむかってゆくこと。それをほとんど毎日どこかで考える。目覚めると、ああ、私もいつか必ず死ぬんだなあ、と思う。そのことを離れて人を想ったり人と暮らしたりできない。花火大会を見て、今年の夏も生きてたね、と思う。花火も、ものを言っている。消え去りがてに、感情としか思えないものを見せてゆく。そうして私は感情をあらゆるものに投影する。霧にも、雲にも。感情の投影から外へ出ようとして、けれどほとんど出られないことも知っている。

「花火」ではなく、「音楽」を書名に選んだのは、それはたぶん大きな語だからだと思う。「微分」という語が「数学」という、より大きな語に含まれるように。「音楽」に預けておけば、まあ誤差の範囲だろう、というような。いつか修正される誤差。大きな弧を描くことができれば、いつか修正される誤差。宛先不明、しかし宛てていることの栄誉。

(2000/7/15)





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