小島郁子展「−内側の水・波音の記録−」(大磯・ SILVER SHELL 1999.10.23-11.4)
(文・柏木麻里)

『陶説』562号 2000年1月

                             ※小島郁子氏は、2006年に「安藤郁子」に改姓しました。


内面と外界の境界とは、どのようなものだろう。彼方に聞こえている話し声、中間にうまれている波の、境目はどこにあるのだろう。小島郁子さんの作品は、たえずその境界をさぐり、それを遠い「波音」に耳を澄ませるように記してゆく。

「小さな開放」は白っぽく乾いた質感の四角い形と、青みをおびた羽根状の部分からなる。羽根は、見えない何かをその上にのせて、延べさしだしている。作品の周囲には羽根によって押しひろげられ、さしだされた何かを受けとろうとする空間がうまれている。
 淡い色合いの表面に、今ここにないはずの空間・時間を呼びよせる力は、小島さん独自のものだ。しかも作品表面と空間は、そのまま作者の皮膚と、それを包む外界の気配として触覚的にあらわれてくる。小島作品の表面は「わたし」と「世界」とが出会い、浸透しあう境界、皮膜を思わせるものだ。

今回の新作展では、全体的に、以前に比べて作品の形が自由になってきたことが注目される。これまで屋根や窓のある家の形をしていた部分が今回は抽象的な立方体になり、はっきりした弧をえがいていた羽根は、不定形な柔らかい形に変化してきている。小島さんによると、今回は羽根の形を意図的に決めることをせず、土が垂れるままの形にするなど、自然に、楽に取り組むことができたという。そのためか、作品の境界から滲みだしてゆく感触は、さらに微妙な、広がりあるものとなっているようだ。

淡い青、茶、緑色の混ざりあう「どこかで」。ほそい羽根は、何かをさししめすように空間へ延びる。その空間を明確に空ということはできない。もはや作品と周囲の空間は家と空に限定されていないからだ。だからこそ作品は、幻めいた、見定めることのできない記憶をも誘ってくれる。
  これらの作品群に比べると、今春からはじまった連作「内側への入口」「降りていく水の中」では、外への動きはかなり抑えられている。青い半球形の上面は、外界に滲みだしてゆくというよりは、あくまで膜として何かを内側に湛えているようだ。

小島さんは「羽根のある作品では自分と外界が半々に関わっていて、半球形の作品は自分の内面に入っている感じがします」と語られる。また近年青森に帰郷され、一人の環境で創作していること、住環境の変化によって自分を取り巻く自然が変わってきたことも、内省的な作品の契機になっているという。内面と外界の釣りあいを繊細に測りながら、それを作品に反映させている姿勢が伝わってくる。ときに外界へと官能的にひらかれ、ときに内省に沈みながら、浸透しあう境界を見せつづけてほしい。
  1970年弘前市生まれ、現在は青森市在住。上越教育大学大学院芸術系美術修了、95年朝日現代クラフト展グランプリ受賞。            





小島郁子(安藤郁子)さんについて、作品ページに「外に立てられた皮膚」があります。
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